東本願寺沖縄別院は宜野湾市大山にある真宗大谷派の寺院です

    東本願寺沖縄別院

    東本願寺沖縄別院は東本願寺(京都)を本山とする「真宗大谷派」の直轄する寺院です。
    沖縄別院では葬儀や法事を執り行うだけでなく、聞法(仏教の話を聞くこと)を通して私たちの苦しみや悲しみに向き合う場を大切にしています。
    毎週土曜日には「土曜礼拝」を開き参加者と一緒に声を出して正信偈(親鸞聖人作の偈[うた])をお勤めし、法話を聞き、その後、茶話会を開いています。
    どなたでも参加できますのでお気軽にお越しください。 皆様のご参加を心よりお待ちしております。

    東本願寺を知る 浄土真宗の教え

    法事についてご相談

    法事・起工式・お骨のお預かり/お骨・ご位牌の永代経(永代預り)のご相談。

    土曜礼拝・公開講座のご案内

    個人から社会の大きな課題まで、仏教に学んでみませんか。

    グリーフケアのご案内

    最愛の人をなくされ、深い悲しみもある皆さんがその思い出を語る場を開いています。

    土曜礼拝

    期日 毎週土曜日
    午前10時〜12時
    内容 勤行と法話

    学習会

    期日 第2、4水曜日 午後2時〜4時
    営業時間 親鸞聖人の記された著作やお手紙を中心に、現在『和讃』(親鸞聖人が作られたうた)を読んでいます。

    ※輪読会、同朋の会は、日時を変更することがありますので、参加希望の方は事前にご連絡いただけると確実です。
    ※この他に公開講座がございます。詳しくは新着情報をご確認ください。

    【声明】米兵による女性への暴行事件に抗議します (日本語)

    【抗議声明文】 米兵による女性への暴行事件に抗議します   在沖米軍所属の米兵による16歳未満の少女に対する拉致暴行事件が昨年の12月に発生していたことが、今年6月の終わりごろの報道により明るみに出ました。被害を受けた方の痛みと苦しみが余人には測り難い深いものであることを思うと、事件を防ぐことのできなかった社会の甘さを悔やんでも悔やみきれない思いがいたします。まずはこのことを被害にあわれた方にお詫び申し上げなければなりません。 そして、米軍関係者による性暴力事件が、今年の5月とさらに他3件、2023年以降で合わせて5件も沖縄で発生していたことが今になってようやく明らかにされました。事件化されることが氷山の一角であることを考えると戦慄をおぼえると同時に、そのことが担当機関から沖縄県及び地域に暮らす人々に速やかに報告されなかったことに、激しい憤りを感じます。 戦後、米軍との不均衡な関係の中で軍人軍属による犯罪が繰り返されてきました。すべてのいのちが平等に重んじられる「命どぅ宝」社会の実現を願う沖縄の人々にとって何よりも排除されなければならない性暴力犯罪が、長年不平等を強いられている過重な米軍基地負担により頻発することは、あまりにも理不尽な現実だと言わざるを得ません。  性暴力は、他者を自己の欲求を満たすための道具として扱う、尊厳の蹂躙の最たるものです。くわえて、被害に遭われる方が女性や年少者であるケースが圧倒的に多いことは、男性中心社会が剥きだす牙の恐ろしさの表れでもあり、このような社会構造の継続を許すことは私たちがいただく仏教の教えとは到底相いれないものであります。その意味で、こうした事件が後を絶たないことに、仏教徒としても大きな責任を感じております。  阿弥陀如来の本願には全ての人が平等に救われることが願われています。一部の人の犠牲の上に成り立つ社会ではなく、外見や社会的立場、肌の色や性の違い等による不平等のない世界が願われています。また、自分以外の全てを、自己の欲求を満たすための手段とすることのない世界が願われています。  この本願をよりどころとする仏教徒として、今回の一連の事件と沖縄が置かれている状況に対する強い抗議の意を、全ての日本人及び米国人の前に表明します。そしてこの事件をとおして、自己の欲望を満たすために周りの人を利用していこうとする私たち一人ひとりのあり方が問われているのだということを確認いたします。  最後に、被害に遭われた方の苦しみがいくばくかでも癒されることと、二度とこのような事件が繰り返されないことを念じながら、この事件に抗議の声をあげられている方々と共に歩みたいと思います。  2024年7月12日 真宗大谷派 東本願寺沖縄別院 輪  番 長谷 暢  門徒総代 照屋 隆司
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    【声明英語版】Protest Statement Against the Assault Incidents by U.S. Soldiers

    [Protest Statement Against the Assault Incidents by U.S. Soldiers] In late June this year, it was reported that a US soldier stationed in Okinawa kidnapped and assaulted a girl under the age of 16 last December.  In addition to the incident in December last year, it has been reported that there was another in May this year. Moreover, three more incidents of sexual violence involving U.S. military personnel in Okinawa have come to light, bringing the total to five cases in the past year and a half.  It is horrifying to think that these reported incidents are just the tip of the iceberg, and we are deeply outraged that these incidents were not promptly reported to the Okinawa Prefectural Government and the local residents by the responsible authorities. Considering the deep pain and suffering of the victims, which is beyond anyone's understanding, we deeply regret the societal failings that allowed these incidents to occur.  We must first extend our sincere apologies and our deepest sympathies to the victims and wish them to know we are full of sorrow and grief for their suffering.  Since the end of World War II, crimes committed by U.S. military personnel have been repeatedly carried out under the imbalanced relationship with the U.S. military.  For the people of Okinawa, who aspire to create a society where all lives are equally valued ("Nuchi du Takara"), the frequent occurrence of sexual violence crimes, which must be eliminated above all else, due to the heavy burden of U.S. military bases and the long-standing enforced inequalities, is an unacceptably unjust reality. Sexual violence is the ultimate violation of dignity, treating others as objects to satisfy one's own desires. Moreover, the overwhelming majority of victims being women or minors highlights the horrors of a male-dominated society, and allowing such a social structure to continue is fundamentally incompatible with the teachings of Buddhism. As Buddhists, we feel a profound responsibility for the persistence of such incidents.   Amida Buddha's vow, "HONGAN," cherishes a desire for all people to be saved equally. What is promised is not a society built on the sacrifice of a few, but a world without inequality based on appearance, social status, skin color, gender, etc.  Furthermore, in this vow, a world where no one uses anyone other than themselves as a means to fulfill their own desires is pledged. As Buddhists who rely on this vow, “HONGAN”, we express our strong protest against the series of incidents and the situation in Okinawa to all Japanese and Americans. Through these incidents, we affirm that each of us must question our way of using those around us to fulfill our own desires.  Finally, we wish for the alleviation, even if just a little, of the suffering of the victims and hope that such incidents will never be repeated. We would like to walk alongside those who are raising their voices in protest against these incidents. July 12, 2024 Shinshu Otani Faction Higashi Honganji Okinawa Betsuin (the branch temple of Okinawa) Rinban (branch head of the priests) : Masashi Nagatani Chairperson of the followers : Ryuji Teruya
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    今月の予定
    1月1日 修正会法要
    4月 花まつり/清明祭法要
    非戦・平和沖縄研修会(沖縄開教本部主催)
    5月 玉代勢法雲師祥月命日法要
    6月 沖縄戦戦没者追弔会法要
    8月 盂蘭盆会法要
    9月 沖縄別院物故者法要
    10月 東本願寺沖縄別院「親鸞聖人報恩講」
    12月 成道会法要
    除夜の鐘(兵戈無用の鐘撞)
    定例法要 毎週土曜日 土曜礼拝
    毎週水曜日 学習会(輪読会)
    不定期 公開講座(年数回) 別院および県内各地にて
    その他の学習会 50歳くらいまでの若い世代で、仏教・浄土真宗を学んでいます。 曜日・時間帯・内容によって2つありますので、興味のある方はお気軽にご連絡ください。(担当/駐在教導・西田)

    その他の学習会 1

    開催日 毎月最終金曜日
    時 間
    18:30~20:00
    場 所 Zoomオンライン(顔声有)、または沖縄別院
    対 象 どなたでも
    参加費 無料
    形 態 輪読会・座談会(テキストを共有し回し読みします)

    その他の学習会 2

    開催日 月一回土曜日(日にちは変動します)
    時 間 13:00~
    場 所 Zoomオンライン(顔声有)、または沖縄別院
    対 象 どなたでも
    参加費 無料
    形 態 僧侶作成の資料(PPT)・ゆんたく(内容は前月の時みんなで決めます)

    お坊さん紹介

    東本願寺沖縄別院のご法要や行事などで皆さまとご縁をいただく僧侶のご紹介いたします。

      現実を知る報恩講

      先月沖縄別院の親鸞聖人「報恩講」を無事お勤めすることができました。たくさんのご参詣をいただき御礼申し上げます。今月は京都のご本山で「報恩講」(11/21-28)が開催されます。機会があれぜひご参拝ください。 さて沖縄別院が設立されて以来十五回目の報恩講となった。私は別院の職員として有難いことにずっと関わることができているが、参詣者の中にもずっと参拝いただいている方もいる。また、ずっと参詣されていたが、もうお参りすることができなくなった方もたくさんおられる。寂しいと思う反面、多くの人が念仏の教えに「恩」を感じるまでに至ったのかと思うと、念仏に感銘するほかない。 さて本年のご講師は能登からお越しいただいた濤恵周(おおなみえしゅう)師で、逮夜のご法話では震災から十ヵ月を経た現在までの状況を詳細にご報告いただいた。印象的だったのは被災された直後は多くの報道があったが、現在はすっかり報道されなくなっていること。そして現在取り上げられるのは、もっぱら「復興」が進んでいる姿ばかりで、作業が進まず、いまだに避難所の中でテントの中に暮らしている人、水道や電気ですらまだまだ復旧していない所があること。特に驚いたのは、水道の復旧が公道までで、そこから自宅の工事は自分で手配するが、なかなか業者が手配できないことなど。 お話を聞きながら、本願の「天眼智通」「天耳智通の願」が頭をよぎった。この本願では私たちが自分の聞きたいこと、見たいことばかりをみて、世界で起きている都合の悪いことを見聞きしないことが指摘されていると了解している。報恩講の場で、遠く離れた能登の現在とその苦悩の現実を教えていただいたことは、浄土の功徳ではないかと感じ、大切な仏法を聞く場となったと思っている。南無阿弥陀仏
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      雑色雑光

      法事で「お経」が読まれても、聞く人は何のことやらわからないけれど、その“わからない”ところに仰々しさを感じる人もあることだろう。しかし、お経にはちゃんと意味がある。「呪文」のような意味がなくとも効果はあるかもしれないというものではなく、ちゃんとした物語が記されている。その物語が私たちの人生のどんな働きがあるのかは、それぞれが聞いて受け止めていくしかない。  『仏説阿弥陀経』と名付けられているお経はお釈迦様の説かれた法話として記されていて、私も僧侶になってから数えきれないほど「読経」してきたが、その意味を一つ一つ勉強することは「読経」に比べれば格段に少ない。それでも法話の際にはいくつかのエピソードを切り口にお話をする。その一つに「青色は青い光を、黄色は黄の光、赤色は赤い光、白色は白い光を放つ」というくだりがあり、浄土という世界では、それぞれがそれぞれの光を余すことなく放っている。個性が尊重される世界なんですよと紹介しながら、現代では「チューリップ」の歌や「世界に一つだけの花」(スマップ)にも表れており、私たちが共感できる世界であると紹介している。 この話をしていたら「世界はそれほどきれいな色ばかりじゃないからなぁ」との指摘を受けた。確かに赤青黄白という綺麗で鮮やかな色は少ない。グレー、茶色、緑、紫、くすんだ色、そんなカラーで世界は溢れている。私たちの個性も同じように「〇〇な人」などと決められるようなことはない。いろんなことが交わりあっている。指摘はその通りだと思った。 ところが『阿弥陀経』の原本には四色に加えて「雑色雑光」と記されている。「雑」は「まじる」という意味である。ちゃんと昔の人もわかっていたのである。私も「雑色」のほうが安心する。皆さんはいかがでしょうか。
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      昆布ロードの旅

      7月末に北海道でお話しする機会をいただいた。日本のほぼ真ん中の滋賀県で生まれた私は、北と南への憧れが強かったと思う。大学の進学以来、ずっと生まれた地を離れ、南の「憧れの地」に四半世紀暮らしている。そんなわけで「北海道へ」というだけで、気分が盛り上がるわけだが、もっぱら「〇〇を食べよう、〇〇を飲もう」と飲食ばかりの煩悩がくすぐられる。それでも法話のネタとして北海道と沖縄をつなぐ真宗に関することに思いをめぐらした。 で、思いついたのが「昆布ロード」である。琉球王国の中国との交易で、重要な品目であったのが「昆布」である。当時の中国では需要が高く、薩摩は琉球を介して貿易を行い、莫大な財を成したという。昆布はもちろん北海道で収穫されるもので、これを北前船と呼ばれる北陸の人々の商船で薩摩まで運び、そこから琉球、中国へと海路が開拓された。 この経路を「昆布ロード」というわけだが、この海運に関わった人々の中に真宗門徒が多かったようだ。まず、北海道から鹿児島への経路は北陸の真宗門徒、鹿児島から琉球へは薩摩の隠れ念仏者たち。これらの船乗りたちと琉球の人々の交流の中で「伝播」してもたらされたのが、何の資格も求められない口に称える念仏で、だれもが平等に救われる本願念仏の教えであった。 北海道、北陸、鹿児島、琉球と言語も異なる人々の交流の中で、「ナムアミダブツ」とインドの言葉が橋渡されていったと思うとワクワクするではないか。重箱やおでんの具材の昆布を見た際は、念仏と一緒にやってきたのかと想像しながら食べると、一味深くなるかも…心配事は、そんな昆布が気候変動で取れなくなっているという事かなぁ。
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      盂蘭盆~ウランバーナ~

       今月はお盆を迎えます。沖縄では旧暦七月十五日を中心に執り行われますが、本土では新暦の七月または八月十五日になっています。「お盆」の起源の一つとして『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』という経典があり、そこに七月十五日と明記されていることによります。ちなみに「盂蘭盆」の語源は「ウランバーナ」という古いインドの言葉で、「逆さ吊りの苦しみ」という意味です。先祖供養とはかなり違うようです。  さて「お盆」といえば、ご先祖を供養する期間として大切にされていますが、一方で実際はご先祖もいろいろです。私の命のルーツとしてのご先祖ではなく、男系のご先祖だけという場合や、貢献した人々には手を合わせるが、罪を犯したご先祖や、縁が切れた方々は手を合わせる対象としないこともしばしば見聞きします。  翻って、今を生きる私たちは、世界に公開できるほど綺麗な生き方をしておりません。最近はインターネット上で自身の想いや生き方を公開している人もたくさんいます。しかしそれはその人の人生の一部分、公開しても「よい」部分だけです。だから「裏アカ」と呼ばれる一部の人にしか公開しない匿名の「裏」のアカウントをいくつも持っているといいます。一体いくつ「裏」があるのか。街頭インタビューに応える人は4つだ5つだと答えます。そういえば政治家も「裏」が好きなようで「裏金」が話題になりました。  お盆の本来の意味は、「あなたは本来なすべきことと逆さまのことをして、苦しんでませんか」という問いかけだと承知しています。諸仏となったご先祖からの問いかけに、応えていこうとする人生の歩みこそ念仏なのです。
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      何億光年前の光

      先日、以前から交流のあった敬愛する先輩のお一人が、常照寺(南城市)の公開講座でお話をされ聞く機会があった。内容は最近、旭化成の宣伝で流れている山口百恵の「さよならの向こう側」という歌の歌詞を手掛かりとされていた。「何億光年輝く星にも寿命があると教えてくれたのはあなたでした…」というものです。 私たちが思いにふけりながら見る、夜空にきらめく星々の光は、実は数年から何億年も前に放たれた光なのです。その星が今あると思って見ているけれども、実は寿命が尽きてもう輝いていないかもしれません。つまり私たちが見ているのはその星は、過去の姿なのです。同様に太陽の光も、実は八分一九秒前の太陽の姿であり、過去の光に照らされているのです。 さて法事では今を生きる私たちが、過去の人々を偲び、思いを巡らせる機会です。それは今、夜空を見上げ、過去の光を眺めるように、過去の人々の輝きを確かめる大切な機会です。もちろん人それぞれ、様々な輝きがあります。誇れることでない場合もあると思います。しかしそれも含めて、その光を見つめてみたいものです。 最近沖縄でも年忌法要のみならず、中陰まで繰り上げばかりで開催されています。法事では今を生きる私たちが、過去の人々を偲び、思いを巡らせる機会です。夜も明るい現代、星を見上げる機会が減りましたが、先達方の輝きはちゃんと確かめたいものだと思いませんか。長谷 暢
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      座右の銘

      この春、娘の大学入学式に参加する機会があった。事前に2時間半だと聞いていたが、大学の入学式は「長いなぁ」と思っていた。申し訳ないが途中で退席するつもりで参加した。ところがその記念講演が元米国アップル社の副社長で、なかなか興味深い話で、結局最後まで参加した。彼の話を聞きいていると「なんだか仏教の話に通じているな」と感じていた。同じく元アップルの社長であったかの有名なスティーブ・ジョブズも仏教に精通していたというので、この方も同じかもしれないと思って聞いていた。話の後半で彼の「座右の銘」が紹介された。米国に長く居られたから英語であった。「The only constant is change.(唯一の変わらないことは、変化することである)」。ここで確信した。これって「諸行無常」ではないか、と。後で調べて分かったことだが、彼は最近出家されているので、仏教に造詣が深いのではなく、仏教者であった。だから座右の銘も仏教の教えそのものなのかもしれない。さて私は仏教をよりどころに生きるということを大切にしているが、その象徴は座右の銘かもしれない。あなたの座右の銘は何ですか?私は仏教の言葉や、その影響を強く受けたいくつかの言葉を大切にしています。いずれ紹介したいと思います。ところで講演の後、娘に「普段お父さんが言ってることと大体同じだったでしょ」というと、「そう思ったけど、説得力が違うと」と、もっともなことを言われてしまいました。  輪番 長谷 暢
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      琉球・沖縄の仏教史を学ぶ

      琉球・沖縄の仏教史を学ぶホームページを新たにし、コラム欄をつくりました。ここでは、沖縄の仏教に関連する事柄について取り上げてまいります。 初回である今回は、『琉球沖縄仏教史』(知名定寛著・榕樹書林刊2021年・4,500円+税)という書籍をご紹介します。 浄土真宗の僧侶は法事の際に基本的には「法話」をするのですが、話の後、たまに参加者からお聞きするのが「沖縄は仏教じゃなくて先祖供養なんだよ」ということです。 確かに他府県、特に仏教の伝統が色濃く残り、寺檀制度が重んじられる地域に比べると、仏教ということで僧侶を呼ぶのではなく、先祖供養の儀式執行者として僧侶が呼ばれているのが現状かもしれません。 しかし、琉球・沖縄が歴史的に仏教と縁がなかったわけではありません。このことを琉球仏教の通史として読めるのがこの書籍です。 装丁は専門書という感じが強いですが、内容は古文や漢文資料は現代語訳で紹介されており、一般書並みに読みやすくなっています。読み進めると、琉球沖縄の歴史が、仏教を視座からドラマチックに展開するようで、時代小説を読んでいるかのような部分もあります。そこには著者の大胆な推測も含まれていて、大変興味深い展開があります。 私が僧侶であるから、仏教びいきな部分を差し引いても、琉球沖縄の歴史の中で、仏教の果たした役割がたくさんあったことに驚きます。 また、後半部分には知名氏の琉球仏教研究の最新の情報も紹介されています。そこにはこの浄土真宗・東本願寺の琉球との関りが示されています。琉球王国時代にはキリスト教を合わせて禁教とされていた私たちの浄土真宗は、琉球国の併合が推し進められる中で、解禁への働きかけを強めました。「隠れ念仏」と言われた琉球の門徒が弾圧を受け一斉に処罰された事件の解決を求めて、王府との交渉にあたります。その際には明治政府との密な連携を持っていました。この間の経緯を、近年発見された日記や報告書をもとに克明に再現しています。中でも当時の僧侶らが、国王を名誉棄損で訴えるということ出来事があり、このことが事件の展開に大きく関わっているという推測がなされています。 私たちの先輩方が浄土真宗の僧侶として弾圧を受けた門徒たちの解放に動いたことも理解できますが、同時そのことが琉球処分に加担することになってしまったことも十分に注意しなければなりません。そして一方で、琉球国が禁止した浄土真宗を、なぜ多くの人々、特に女性たちが信じたのか。私にとってはそんなことを考えさせられる一冊でした。 琉球・沖縄の文化に深く根差している琉球独自の仏教の歴史が、この書籍で知ることができると思います。 (担当:長谷)  
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      沖縄と仏教の歴史

      意外と知られていない沖縄の長い仏教の歴史を紹介します

      非戦平和の願い

      フィールドワークのMAPも掲載しています

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