コラム

雑色雑光

法事で「お経」が読まれても、聞く人は何のことやらわからないけれど、その“わからない”ところに仰々しさを感じる人もあることだろう。しかし、お経にはちゃんと意味がある。「呪文」のような意味がなくとも効果はあるかもしれないというものではなく、ちゃんとした物語が記されている。その物語が私たちの人生のどんな働きがあるのかは、それぞれが聞いて受け止めていくしかない。  『仏説阿弥陀経』と名付けられているお経はお釈迦様の説かれた法話として記されていて、私も僧侶になってから数えきれないほど「読経」してきたが、その意味を一つ一つ勉強することは「読経」に比べれば格段に少ない。それでも法話の際にはいくつかのエピソードを切り口にお話をする。その一つに「青色は青い光を、黄色は黄の光、赤色は赤い光、白色は白い光を放つ」というくだりがあり、浄土という世界では、それぞれがそれぞれの光を余すことなく放っている。個性が尊重される世界なんですよと紹介しながら、現代では「チューリップ」の歌や「世界に一つだけの花」(スマップ)にも表れており、私たちが共感できる世界であると紹介している。 この話をしていたら「世界はそれほどきれいな色ばかりじゃないからなぁ」との指摘を受けた。確かに赤青黄白という綺麗で鮮やかな色は少ない。グレー、茶色、緑、紫、くすんだ色、そんなカラーで世界は溢れている。私たちの個性も同じように「〇〇な人」などと決められるようなことはない。いろんなことが交わりあっている。指摘はその通りだと思った。 ところが『阿弥陀経』の原本には四色に加えて「雑色雑光」と記されている。「雑」は「まじる」という意味である。ちゃんと昔の人もわかっていたのである。私も「雑色」のほうが安心する。皆さんはいかがでしょうか。
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昆布ロードの旅

7月末に北海道でお話しする機会をいただいた。日本のほぼ真ん中の滋賀県で生まれた私は、北と南への憧れが強かったと思う。大学の進学以来、ずっと生まれた地を離れ、南の「憧れの地」に四半世紀暮らしている。そんなわけで「北海道へ」というだけで、気分が盛り上がるわけだが、もっぱら「〇〇を食べよう、〇〇を飲もう」と飲食ばかりの煩悩がくすぐられる。それでも法話のネタとして北海道と沖縄をつなぐ真宗に関することに思いをめぐらした。 で、思いついたのが「昆布ロード」である。琉球王国の中国との交易で、重要な品目であったのが「昆布」である。当時の中国では需要が高く、薩摩は琉球を介して貿易を行い、莫大な財を成したという。昆布はもちろん北海道で収穫されるもので、これを北前船と呼ばれる北陸の人々の商船で薩摩まで運び、そこから琉球、中国へと海路が開拓された。 この経路を「昆布ロード」というわけだが、この海運に関わった人々の中に真宗門徒が多かったようだ。まず、北海道から鹿児島への経路は北陸の真宗門徒、鹿児島から琉球へは薩摩の隠れ念仏者たち。これらの船乗りたちと琉球の人々の交流の中で「伝播」してもたらされたのが、何の資格も求められない口に称える念仏で、だれもが平等に救われる本願念仏の教えであった。 北海道、北陸、鹿児島、琉球と言語も異なる人々の交流の中で、「ナムアミダブツ」とインドの言葉が橋渡されていったと思うとワクワクするではないか。重箱やおでんの具材の昆布を見た際は、念仏と一緒にやってきたのかと想像しながら食べると、一味深くなるかも…心配事は、そんな昆布が気候変動で取れなくなっているという事かなぁ。
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盂蘭盆~ウランバーナ~

 今月はお盆を迎えます。沖縄では旧暦七月十五日を中心に執り行われますが、本土では新暦の七月または八月十五日になっています。「お盆」の起源の一つとして『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』という経典があり、そこに七月十五日と明記されていることによります。ちなみに「盂蘭盆」の語源は「ウランバーナ」という古いインドの言葉で、「逆さ吊りの苦しみ」という意味です。先祖供養とはかなり違うようです。  さて「お盆」といえば、ご先祖を供養する期間として大切にされていますが、一方で実際はご先祖もいろいろです。私の命のルーツとしてのご先祖ではなく、男系のご先祖だけという場合や、貢献した人々には手を合わせるが、罪を犯したご先祖や、縁が切れた方々は手を合わせる対象としないこともしばしば見聞きします。  翻って、今を生きる私たちは、世界に公開できるほど綺麗な生き方をしておりません。最近はインターネット上で自身の想いや生き方を公開している人もたくさんいます。しかしそれはその人の人生の一部分、公開しても「よい」部分だけです。だから「裏アカ」と呼ばれる一部の人にしか公開しない匿名の「裏」のアカウントをいくつも持っているといいます。一体いくつ「裏」があるのか。街頭インタビューに応える人は4つだ5つだと答えます。そういえば政治家も「裏」が好きなようで「裏金」が話題になりました。  お盆の本来の意味は、「あなたは本来なすべきことと逆さまのことをして、苦しんでませんか」という問いかけだと承知しています。諸仏となったご先祖からの問いかけに、応えていこうとする人生の歩みこそ念仏なのです。
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何億光年前の光

先日、以前から交流のあった敬愛する先輩のお一人が、常照寺(南城市)の公開講座でお話をされ聞く機会があった。内容は最近、旭化成の宣伝で流れている山口百恵の「さよならの向こう側」という歌の歌詞を手掛かりとされていた。「何億光年輝く星にも寿命があると教えてくれたのはあなたでした…」というものです。 私たちが思いにふけりながら見る、夜空にきらめく星々の光は、実は数年から何億年も前に放たれた光なのです。その星が今あると思って見ているけれども、実は寿命が尽きてもう輝いていないかもしれません。つまり私たちが見ているのはその星は、過去の姿なのです。同様に太陽の光も、実は八分一九秒前の太陽の姿であり、過去の光に照らされているのです。 さて法事では今を生きる私たちが、過去の人々を偲び、思いを巡らせる機会です。それは今、夜空を見上げ、過去の光を眺めるように、過去の人々の輝きを確かめる大切な機会です。もちろん人それぞれ、様々な輝きがあります。誇れることでない場合もあると思います。しかしそれも含めて、その光を見つめてみたいものです。 最近沖縄でも年忌法要のみならず、中陰まで繰り上げばかりで開催されています。法事では今を生きる私たちが、過去の人々を偲び、思いを巡らせる機会です。夜も明るい現代、星を見上げる機会が減りましたが、先達方の輝きはちゃんと確かめたいものだと思いませんか。長谷 暢
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座右の銘

この春、娘の大学入学式に参加する機会があった。事前に2時間半だと聞いていたが、大学の入学式は「長いなぁ」と思っていた。申し訳ないが途中で退席するつもりで参加した。ところがその記念講演が元米国アップル社の副社長で、なかなか興味深い話で、結局最後まで参加した。彼の話を聞きいていると「なんだか仏教の話に通じているな」と感じていた。同じく元アップルの社長であったかの有名なスティーブ・ジョブズも仏教に精通していたというので、この方も同じかもしれないと思って聞いていた。話の後半で彼の「座右の銘」が紹介された。米国に長く居られたから英語であった。「The only constant is change.(唯一の変わらないことは、変化することである)」。ここで確信した。これって「諸行無常」ではないか、と。後で調べて分かったことだが、彼は最近出家されているので、仏教に造詣が深いのではなく、仏教者であった。だから座右の銘も仏教の教えそのものなのかもしれない。さて私は仏教をよりどころに生きるということを大切にしているが、その象徴は座右の銘かもしれない。あなたの座右の銘は何ですか?私は仏教の言葉や、その影響を強く受けたいくつかの言葉を大切にしています。いずれ紹介したいと思います。ところで講演の後、娘に「普段お父さんが言ってることと大体同じだったでしょ」というと、「そう思ったけど、説得力が違うと」と、もっともなことを言われてしまいました。  輪番 長谷 暢
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琉球・沖縄の仏教史を学ぶ

琉球・沖縄の仏教史を学ぶホームページを新たにし、コラム欄をつくりました。ここでは、沖縄の仏教に関連する事柄について取り上げてまいります。 初回である今回は、『琉球沖縄仏教史』(知名定寛著・榕樹書林刊2021年・4,500円+税)という書籍をご紹介します。 浄土真宗の僧侶は法事の際に基本的には「法話」をするのですが、話の後、たまに参加者からお聞きするのが「沖縄は仏教じゃなくて先祖供養なんだよ」ということです。 確かに他府県、特に仏教の伝統が色濃く残り、寺檀制度が重んじられる地域に比べると、仏教ということで僧侶を呼ぶのではなく、先祖供養の儀式執行者として僧侶が呼ばれているのが現状かもしれません。 しかし、琉球・沖縄が歴史的に仏教と縁がなかったわけではありません。このことを琉球仏教の通史として読めるのがこの書籍です。 装丁は専門書という感じが強いですが、内容は古文や漢文資料は現代語訳で紹介されており、一般書並みに読みやすくなっています。読み進めると、琉球沖縄の歴史が、仏教を視座からドラマチックに展開するようで、時代小説を読んでいるかのような部分もあります。そこには著者の大胆な推測も含まれていて、大変興味深い展開があります。 私が僧侶であるから、仏教びいきな部分を差し引いても、琉球沖縄の歴史の中で、仏教の果たした役割がたくさんあったことに驚きます。 また、後半部分には知名氏の琉球仏教研究の最新の情報も紹介されています。そこにはこの浄土真宗・東本願寺の琉球との関りが示されています。琉球王国時代にはキリスト教を合わせて禁教とされていた私たちの浄土真宗は、琉球国の併合が推し進められる中で、解禁への働きかけを強めました。「隠れ念仏」と言われた琉球の門徒が弾圧を受け一斉に処罰された事件の解決を求めて、王府との交渉にあたります。その際には明治政府との密な連携を持っていました。この間の経緯を、近年発見された日記や報告書をもとに克明に再現しています。中でも当時の僧侶らが、国王を名誉棄損で訴えるということ出来事があり、このことが事件の展開に大きく関わっているという推測がなされています。 私たちの先輩方が浄土真宗の僧侶として弾圧を受けた門徒たちの解放に動いたことも理解できますが、同時そのことが琉球処分に加担することになってしまったことも十分に注意しなければなりません。そして一方で、琉球国が禁止した浄土真宗を、なぜ多くの人々、特に女性たちが信じたのか。私にとってはそんなことを考えさせられる一冊でした。 琉球・沖縄の文化に深く根差している琉球独自の仏教の歴史が、この書籍で知ることができると思います。 (担当:長谷)  
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