コラム

何億光年前の光

先日、以前から交流のあった敬愛する先輩のお一人が、常照寺(南城市)の公開講座でお話をされ聞く機会があった。内容は最近、旭化成の宣伝で流れている山口百恵の「さよならの向こう側」という歌の歌詞を手掛かりとされていた。「何億光年輝く星にも寿命があると教えてくれたのはあなたでした…」というものです。 私たちが思いにふけりながら見る、夜空にきらめく星々の光は、実は数年から何億年も前に放たれた光なのです。その星が今あると思って見ているけれども、実は寿命が尽きてもう輝いていないかもしれません。つまり私たちが見ているのはその星は、過去の姿なのです。同様に太陽の光も、実は八分一九秒前の太陽の姿であり、過去の光に照らされているのです。 さて法事では今を生きる私たちが、過去の人々を偲び、思いを巡らせる機会です。それは今、夜空を見上げ、過去の光を眺めるように、過去の人々の輝きを確かめる大切な機会です。もちろん人それぞれ、様々な輝きがあります。誇れることでない場合もあると思います。しかしそれも含めて、その光を見つめてみたいものです。 最近沖縄でも年忌法要のみならず、中陰まで繰り上げばかりで開催されています。法事では今を生きる私たちが、過去の人々を偲び、思いを巡らせる機会です。夜も明るい現代、星を見上げる機会が減りましたが、先達方の輝きはちゃんと確かめたいものだと思いませんか。長谷 暢
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座右の銘

この春、娘の大学入学式に参加する機会があった。事前に2時間半だと聞いていたが、大学の入学式は「長いなぁ」と思っていた。申し訳ないが途中で退席するつもりで参加した。ところがその記念講演が元米国アップル社の副社長で、なかなか興味深い話で、結局最後まで参加した。彼の話を聞きいていると「なんだか仏教の話に通じているな」と感じていた。同じく元アップルの社長であったかの有名なスティーブ・ジョブズも仏教に精通していたというので、この方も同じかもしれないと思って聞いていた。話の後半で彼の「座右の銘」が紹介された。米国に長く居られたから英語であった。「The only constant is change.(唯一の変わらないことは、変化することである)」。ここで確信した。これって「諸行無常」ではないか、と。後で調べて分かったことだが、彼は最近出家されているので、仏教に造詣が深いのではなく、仏教者であった。だから座右の銘も仏教の教えそのものなのかもしれない。さて私は仏教をよりどころに生きるということを大切にしているが、その象徴は座右の銘かもしれない。あなたの座右の銘は何ですか?私は仏教の言葉や、その影響を強く受けたいくつかの言葉を大切にしています。いずれ紹介したいと思います。ところで講演の後、娘に「普段お父さんが言ってることと大体同じだったでしょ」というと、「そう思ったけど、説得力が違うと」と、もっともなことを言われてしまいました。  輪番 長谷 暢
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琉球・沖縄の仏教史を学ぶ

琉球・沖縄の仏教史を学ぶホームページを新たにし、コラム欄をつくりました。ここでは、沖縄の仏教に関連する事柄について取り上げてまいります。 初回である今回は、『琉球沖縄仏教史』(知名定寛著・榕樹書林刊2021年・4,500円+税)という書籍をご紹介します。 浄土真宗の僧侶は法事の際に基本的には「法話」をするのですが、話の後、たまに参加者からお聞きするのが「沖縄は仏教じゃなくて先祖供養なんだよ」ということです。 確かに他府県、特に仏教の伝統が色濃く残り、寺檀制度が重んじられる地域に比べると、仏教ということで僧侶を呼ぶのではなく、先祖供養の儀式執行者として僧侶が呼ばれているのが現状かもしれません。 しかし、琉球・沖縄が歴史的に仏教と縁がなかったわけではありません。このことを琉球仏教の通史として読めるのがこの書籍です。 装丁は専門書という感じが強いですが、内容は古文や漢文資料は現代語訳で紹介されており、一般書並みに読みやすくなっています。読み進めると、琉球沖縄の歴史が、仏教を視座からドラマチックに展開するようで、時代小説を読んでいるかのような部分もあります。そこには著者の大胆な推測も含まれていて、大変興味深い展開があります。 私が僧侶であるから、仏教びいきな部分を差し引いても、琉球沖縄の歴史の中で、仏教の果たした役割がたくさんあったことに驚きます。 また、後半部分には知名氏の琉球仏教研究の最新の情報も紹介されています。そこにはこの浄土真宗・東本願寺の琉球との関りが示されています。琉球王国時代にはキリスト教を合わせて禁教とされていた私たちの浄土真宗は、琉球国の併合が推し進められる中で、解禁への働きかけを強めました。「隠れ念仏」と言われた琉球の門徒が弾圧を受け一斉に処罰された事件の解決を求めて、王府との交渉にあたります。その際には明治政府との密な連携を持っていました。この間の経緯を、近年発見された日記や報告書をもとに克明に再現しています。中でも当時の僧侶らが、国王を名誉棄損で訴えるということ出来事があり、このことが事件の展開に大きく関わっているという推測がなされています。 私たちの先輩方が浄土真宗の僧侶として弾圧を受けた門徒たちの解放に動いたことも理解できますが、同時そのことが琉球処分に加担することになってしまったことも十分に注意しなければなりません。そして一方で、琉球国が禁止した浄土真宗を、なぜ多くの人々、特に女性たちが信じたのか。私にとってはそんなことを考えさせられる一冊でした。 琉球・沖縄の文化に深く根差している琉球独自の仏教の歴史が、この書籍で知ることができると思います。 (担当:長谷)  
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