悪を転じて徳となす
先月ペットロスをテーマとした公開講座を開催した。
近年ではペットも家族の一員として長い年月を共にするために、その死別の悲嘆はつらいものである。
我が家にも一匹の犬と一羽のインコがいる。インコは2羽目で最初のインコは飼い始めてすぐに亡くなってしまった。実は私は動物は苦手だった。
特に犬猫には決して近づかなかった。小さいころに野犬に追われたからに違いない。
そんなことで、一羽の鳥の死にさほど感情は動かなかったが、鳥を大切にしていた娘の悲嘆は驚くほどで、まさに泣き崩れる姿をよく覚えている。今では私もすっかり動物になれ、犬にも愛着の心情を抱いている。いずれ娘のように悲嘆するのかもしれない。
さて今回の講座で印象深かったのは、レスリングで世界大会16連勝の記録を持つ吉田沙織さんのエピソードである。
17連勝をかけて臨んだリオオリンピックで銀メダルに終わった。その時彼女は「ごめんなさい」と涙し、期待した世間に謝罪している。
しかしその後、この結果を問われたインタビューで、銀メダルとなってはじめて2位の人の気持ちがわかったと語っている。
変えられないつらい過去の出来事が、どのような意味を持つのかが大切だという。これによって過去にとらわれることなく、歩んでいけるという話であった。
このエピソードを聞いて連想したのが標題の言葉。
念仏は私たちが「悪」と表される姿のままに、「徳」に転じさせるという。
銀メダルを金メダルだと思い込んで救われるのではない。順位が繰り上げになって金メダルになるのでもない。
銀メダルの悔しさのままに、そこに大切な意味を見出しているのである。「悪」を「善」にするのではない。
「徳」となるのである。その「徳」とは念仏であり、「悪」にとらわれることなく浄土を願って歩む人生が獲得されることだといただいている。