コラム

「極寒の中で」

先日、仕事があって京都・東本願寺に出向いた。久しぶりに極寒の京都であった。あまりにも寒いので、あの大きな伽藍の中はどれくらい寒いものかと興味があって、試しに午前七時から始まる「晨朝」にも参拝してみた。
寒さの中でピリッとして、集中して話を聞けるだろうと思ったが、寒さに気が散ってご法話もあまり耳に入ってこなかった。
ヒートテックの肌着と、薄手ではあったがダウンの上着を着ていてこの寒さである。
ふと目を上げて親鸞聖人の姿をうつした「御影」を見ると、白い襟巻姿である。年中この姿で夏は暑そうだと思っていたが、冬には襟巻は必須である。

寒ければ寒いで集中できず、心地よい季節だと今度は心地よく眠い。そして昨今の夏の暑さでは集中できない。
いずれにしても集中できない私をつくづく残念に思うが、集中力を発揮するときもある。
切羽詰まった時と、自分の「思い」を叶えたいと思う時である。

真宗本廟(京都・東本願寺)の門前の通りに並んでいる「法語行灯」(ほうごあんどん)の一つに目がとまった。

自分の思いを叶えるために

神も仏も利用する私

仏教の教えに興味を持ったころはもっと集中して話を聞いていたように思う。
今思うともしかしたらあの集中力はよい成績を取りたいという「思い」を叶えるための集中力だったかもしれない。
しかし、こういう私の素性を仏すでに知っていて、本願念仏を用意されている。仏をも利用する私に、浄土を願えと呼びかけているのだ。