コラム

「作者銘のない器」

様々な「うちなーむん」が私の生活の中に散らばっている。その代表的なものは「やちむん」である。収集癖はないが、たまたま休日に立ち寄った壺屋で購入したものや、結婚式の引き出物などで、食器棚にはそれなりに揃っている。大皿から「マカイ」と呼ばれるごはん茶碗、またもっぱら沖縄そばを食べる時のための大きめの「マカイ」など。持った時の感触も、口当たりも柔らかく、デザインも好きで素晴らしいと思って使用している。

その中の一つの湯飲みは、二十余年前の私たちの結婚式の引き出物に、読谷で焼き物をされている人から買い求めたものである。当時、工房を訪ねた際、品物にその人の印やサインなどがなかったので、「入れないのですか」と聞いたところ「自分はこれでいいんだ」と返事されたことを、印象深く覚えている。謙遜されているのか、そんな「数物」と呼ばれる大量に作る品にはサインを入れないのだろうかと当時は思っていた。

ところが昨年以来たまに行くようになった「民芸酒場おもろ」というお店で、店主の方から「民藝」についていろいろと教えてもらい、強い関心を持った。私の場合は「物」よりはその思想に関心が強く、特に「民藝」運動を起こした柳宗悦に注目している。なぜなら民藝には浄土教の思想が深く関連しているからである。彼は沖縄に来て名もなき工人が作り出す「美しい」やちむんに心奪われたという。有名な作家の作品ではなく、日々作り続ける熟練の工人の生み出すものに、分別を離れた一如(本来の姿・美)の世界が現れ出てくるというのだ。さきのサインの無い湯飲みも、民藝と関係しているのだろうとあらためて思いなおしている。いつか機会を見つけて作った人に聞いてみたいと思っている。

本年末でこの「民藝」が誕生して百年の節目を迎える。成道会の行事に合わせて民藝に関する対談を開催します。ぜひお越しください