コラム
「モノ買ッテクル 自分買ッテクル」
富山県にある真宗大谷派・砺波別院「瑞泉寺」を7月末に訪問した。以前当別院の成道会の講師にお越しいただいた亀淵輪番とも再会でき、とても興味深く学びの多い時間を過ごすことができた。
中でも別院に隣接する元「同朋研修道場」を活用した宿泊施設「杜人舎」に宿泊した。驚いたのはそれなりというか、かなり田舎の山のふもとの寺院に、外国の方が多く宿泊していることであった。7割ほどは外国人だというのである。決して贅沢なつくりではない。元「道場」なだけに、風呂とトイレは共用である。
かといって格安というわけではない。そして朝には別院の朝のお勤めに参詣されるそうである。私が泊まった日も欧州の一家が滞在していて、朝のお勤めにもお参りされていた。
きっと日本語がわかるわけではないし、ましてお勤めができるわけでもなく、仏教徒ですらないはずである。そんな方々が勤行と法話の約1時間弱の時間を早朝の本堂で過ごされていた。
さて宿泊部屋も趣向を凝らしたというか「民藝」というコンセプトが打ち出された部屋で、床の間には沖縄ともゆかりの深い陶芸家・河井寛次郎の標題の言葉が掛けられていた。その掛け軸に向き合いながら、私の買ってきた持ち物こそに、私自身が現れ出ているのだと気づかされた。
そして手元を見渡すと、実にくだらないもの、使い捨てにするものが多いことか…。これが私かと思うとゾッとする。
しかし一方で私はいかにも「凡夫」であると教えていただいているのである。