コラム
「わたしファースト」
7月は参議院選挙があり、様々な政党がそれぞれの主張を繰り広げました。課題山積の中、注目の選挙でした。わたしが今回の選挙で注目したのは「ファースト」です。近年は「アメリカファースト」に始まり「都民ファースト」「日本人ファースト」と、日本のみならず世界中で「ファースト」がもてはやされますが、これは結局「わたしファースト」なんじゃないかと。
常日頃、お寺では「我執のために、私の都合を最優先し、結果、地獄を生み出していく私たちの姿が、如来のまなざしから罪悪深重の凡夫であると指摘されている」と聞いてきました。私たちはほっておくと、自分と自分の周辺、またはその仲間たちを最優先する方向で生きており、そこに苦悩が生まれてくるわけです。最近では「分断」という事で社会と人間関係が断絶するという現象が起きています。考えてみれば「ファースト」とした以上、それ以外は「セカンド」2番手以降となります。
さて米国との関係で日本は一体何番目でしょうか?歴史と現実を見渡すと、沖縄が戦後ずっと背負わされ続けてきた米軍基地の実態を知れば、「ファースト」以外の人々は、「ファースト」の集団を支える手段ににしか見えなくなっていくのかもしれません。
弥陀の四十八願の十番目に私たちが「我と我の所有物」(第4願)の関係を生きていることが指摘されています。 「ファースト」が実現した時に、その他の人々の姿は見えなくなるのです。だからこそ、共に生きている事実に帰って、共に生きる願いとして、念仏の呼び声があるのです。今一度、仏教、仏陀の教えに立ち返り、「自己を習」いましょう。