コラム

「かわいそう」と思う「日ごろの心」②

「かわいそう」と思う「日ごろの心」②

 前号からの続きです。3月に聞いた法話で感じたことを記しています。「健康・家族・お金」が人生の大切な事という「物差し」で分別して生きているのが私たち「日ごろの心」であるという事でした。このような生き方を端的に表現した言葉をご紹介いただきました。

どうにかしないと幸せでない者は

どうなっても幸せでない者や     宮戸 道雄

〇〇になれば幸せになれると思って、一生懸命努力して生きている私たちです。私も結構頑張って生きています。でも、その先に本当に「幸せ」は待っていないと仏教は教えているというのです。私たちは実に理にかなわない生き方をしていて、それを教えてくれるのが仏教なのです。

 「ただ念仏のみ」が私たちを「極楽浄土」へと導くというのです。極楽はインドの古い言葉で「幸あるところ」という意味です。念仏すると幸ある世界に行けるというのはどういう事でしょうか。

日ごろの心では往生かなうべからず    『歎異抄』

確かに、若くて健康な頃に、家族がいて、仕事もあるので経済的に問題がない間は、「幸せ」かもしれません。ところが歳を重ねるうちに、いろんなところが悪くなります。私も最近は老眼と腰痛に苦悩するばかりです。また子どもたちの成長とともに、二人の生活になることでしょう。そしてお金について物価だかや、将来の年金の話を聞くにつけ、不安になるばかりです。

 幸せの要件が「健康・家族・お金」なら、その要件は崩れることが常です。この当たり前のことをいつも忘れて生きる私たちの姿を、まずは教えてくれるのが真宗・仏教なのだと教えていただきました。