コラム

昆布ロードの旅

7月末に北海道でお話しする機会をいただいた。
日本のほぼ真ん中の滋賀県で生まれた私は、北と南への憧れが強かったと思う。
大学の進学以来、ずっと生まれた地を離れ、南の「憧れの地」に四半世紀暮らしている。
そんなわけで「北海道へ」というだけで、気分が盛り上がるわけだが、もっぱら「〇〇を食べよう、〇〇を飲もう」と飲食ばかりの煩悩がくすぐられる。
それでも法話のネタとして北海道と沖縄をつなぐ真宗に関することに思いをめぐらした。

で、思いついたのが「昆布ロード」である。
琉球王国の中国との交易で、重要な品目であったのが「昆布」である。
当時の中国では需要が高く、薩摩は琉球を介して貿易を行い、莫大な財を成したという。
昆布はもちろん北海道で収穫されるもので、これを北前船と呼ばれる北陸の人々の商船で薩摩まで運び、そこから琉球、中国へと海路が開拓された。

この経路を「昆布ロード」というわけだが、この海運に関わった人々の中に真宗門徒が多かったようだ。
まず、北海道から鹿児島への経路は北陸の真宗門徒、鹿児島から琉球へは薩摩の隠れ念仏者たち。
これらの船乗りたちと琉球の人々の交流の中で「伝播」してもたらされたのが、何の資格も求められない口に称える念仏で、だれもが平等に救われる本願念仏の教えであった。

北海道、北陸、鹿児島、琉球と言語も異なる人々の交流の中で、「ナムアミダブツ」とインドの言葉が橋渡されていったと思うとワクワクするではないか。
重箱やおでんの具材の昆布を見た際は、念仏と一緒にやってきたのかと想像しながら食べると、一味深くなるかも心配事は、そんな昆布が気候変動で取れなくなっているという事かなぁ。